現役の道場生からのメッセージ

 相生道(そうせいどう)を学ぶ人は、どのような思いで練習しているのでしょうか?

 それを知るには、生の声を聞くのが一番でしょう。

 大学生と社会人の拳士(道場生)から、日々のトレーニングや、山王道場での稽古について、寄稿して貰いました。まずは大学生のメッセージをご覧ください。


S.N.拳士(大学生)の場合

 私は大学一年生の12月から相生道部に入部しました。入った理由としては、空手の流派が今までやってきた流派と大学にあった流派が違ったため、何か違う武道をやりたいと思ったからです。そこで、投げも突き、蹴りもできる相生道部に入部しました。

 大学までのスポーツ歴は、空手(12年)、陸上短距離、テニス、野球、水泳です。


 入部した時には、すでに自分の同期は自分より2つ上の級にいたのですが、追いつく追いつかないは自分次第です。努力次第では半年で追いつくことが出来ます。実際に私は、入部一カ月後の審査で2つの級に受かり、その次の審査で飛び級しました。このように、自分の努力次第でどこまでも上手くなることが出来ます。

 また、空手を長年やっていて正直伸び悩んでいたことがありました。
 しかし、この相生道と出会うことによって、自分の術技のレベルをまだまだ上げることができると知れた喜びもあります。
 私のこういった経験は、相生道部でも結構珍しいですが、他の人たちも私に負けず様々な経験をしています。このような経験は今でも自分の支えになっています。

(2015.03.27. 南山大学相生道部 S.N.)


R.Y.拳士(大学生)の場合

 あなたは将来どんな人になりたいですか?


 そんな問いがきたら私はこう答えるだろう。「武道家になりたい」と。もちろんそれは武道を生業にしたいという意味ではない。武道を続けるのは趣味のレベルで、仕事はきちんとした職場に勤め、社会人としてまじめに働きたい。そうではなく、私が目指すのはその在り方である。武道家は私の理想の人間像なのだ。


 さて、ここで1つ質問したいのだが、あなたは武道についてどのようなイメージを持っているのだろうか?
 『痛い?』──もちろん痛い。怪我はしょっちゅうするし、腕なんて痣まみれになる──。
 『苦しい?」──もちろん苦しい。突き・蹴りの反復練習や武器の素振りでは腕や脚が上がらなくなることもある──。


 しかし、私はそれは武道において必要なことだと思う。その理由は、当然肉体的・技術的に強くなること、又は厳しい修行を通じて精神を鍛えることも含まれるが、私がもっとも重要だと思うものはそのどれでもない。人間とは他人に感情移入できる生物である。苦痛を知れば無暗な暴力を振るうことがなくなる。また練習が終われば相対相手にきちんと礼をする。そういったことを通して相手を思いやる心を育てること、それが武道において一番大切なことだと思う。
 そう、相手を思いやることである。私の思う武道家とは他人を受け入れられる人である。やさしくて一緒にいると安心できる人、そんな人に私はなりたい。

 ところで、ここまで人としての在り方について述べてきたが、別に技術がどうでもいいなどとは思っていない。熟達者に技を掛けられると気づけば自分が転がっているという何とも不思議な事態に直面する。自分もそうなりたいと思い努力はしているがなかなか巧くいかない。この武道を始めて3年が経とうとしているがやっと入り口には立てた気がする。でもきっと上がり框は踏んでない。まだまだ努力は必要だ。


 と、おもむろに技術の話を始めたのだが実はこれは先ほどの「人を受け入れる」という話にリンクしている。柔術というものは自分本位に力任せに掛けて掛かるものではない。相手の力の弱い部分を的確に狙う必要がある。そのためには相手のことをよく見て相手の状態を理解していないといけない。またどの流派でも形を行うときに受け手側は上手い人が行うものである。それは、相手を上手く見せるために相手を引き立ててやれるだけの実力が必要だからである。


 結局のところ、どちらも相互に生かしあっているのだ。つまり、技術を高めたかったら相手の状態に合わせられる器量が必要になってくるし、相手を受け入れられるようにするには練習のなかで相手をよく観察しなければならない。だから私は武道をこれからも続けていこうと思う。特に相生道の練習は常に相手を意識する、他の流派にはない修行方法で構成されていることから、相生道は私の理想を叶えるのに最適な武道である。

(2015.03.27. 南山大学相生道 R.Y.)